インタビューに応じる島袋洋奨さん。現役生活を振り返りながら、今の心境を赤裸々に語った=10月29日
プロ野球界で戦力外通告を受けた男たちが今オフも去る。3年連続日本一の福岡ソフトバンクでは、かつて甲子園を沸かせた左腕がユニホームを脱いだ。沖縄・興南高のエースとして春夏連覇をけん引した島袋洋奨(ようすけ)さん(27)。甲子園優勝投手の誇りを胸に、沖縄県民の期待を背負い挑んだプロの壁は厚かった。「一流選手が競う常勝軍団で野球ができたことは僕の財産。今は全力でやり切った思いです」。5年間夢を追った福岡を6日離れる。
ドラフト5位で2015年にホークス入団。打者に一度背中を向けてから投げ込む独特のトルネード投法で活躍が期待された。
高校時代は2年春から4季連続で甲子園に。3年では春優勝に続き沖縄勢として夏を初制覇。地元紙、琉球新報の記念誌は、島ぐるみでの応援と悲願の春夏連覇への歓喜を伝えている。
「好きな野球をやってきただけなのに、あんなに喜んでいただいた。恩返しのためにも、早く1軍に上がり、プロで投げる姿を見てもらいたかった」。だがレベルが違った。入団後に間近で見た、同い年の千賀滉大投手の「球の強さ」に度肝を抜かれた。
実は入団前に「心に重い不安を抱えていました」と明かした。中央大2年の時に左肘痛で実戦を離れた後、制球難に苦しんだ。「どう投げればストライクが入るのか。考えれば考えるほど深みにはまった」。順風満帆の高校時代には感じたことがない葛藤だった。
◇ ◇
入団1年目。支えてくれたのは入来祐作3軍投手コーチ。「結果を恐れずに辛抱強くやれ」。試行錯誤の結果、制球が安定。3軍から2軍へ。15年9月には1軍に昇格した。
千葉でのロッテ戦で八回裏にプロ初登板。左翼手の内川聖一選手の好守にも助けられ、1回を無失点で乗り切った。手渡された記念ボールは沖縄の実家に飾ってある。「野球人生の中で一番大切なもの。もがいた末に、やっとたどり着いたボールですから」
プロ5年で1軍登板は2試合。背水の陣で臨んだ3年目の17年8月には左肘の遊離軟骨の除去手術を受けた。同11月に戦力外を通告され、育成選手として踏みとどまったが、先月再び戦力外通告を受けた。「プロは結果が全て。あんな状態の僕を拾ってくれた球団には感謝しかありません」。笑顔が少し寂しそうだった。
全文
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191105-00010007-nishinpc-spo
それに加えて、トルネード故にフィールディングに難があるのを徹底的に突かれて壊れたみたいな書き込みを見たことある。
親もヤンキーとか片親ばかり
そもそもガラの悪くない沖縄人なんて存在するのかw
本土のマイルドヤンキーが上品に見える土地柄なのにw
ちなみに藤浪はもっと下だと思っていた
騒がれてたけど、大学いってプロに入れる確率は
五分五分ぐらいだって。
その程度の投手だったようだ。
スカウトの評価からして、高校でプロ志望届出してりゃ競合1位指名は間違いなかったわ
興南の我喜屋監督は「甲子園優勝したとは言え高校レベルの好打者に打たれているから甘くない」と言っていたが
沢村を育てた高橋善正を慕って中大に進んだのに、OB会の突き上げで監督交代してしまったのが最悪だったね
プロを目指す投手に無理な登板をさせなかったのが、OBには不評だったとか
そんな経緯があるから後任監督は勝利至上主義で酷使せざるを得ず、物の見事にぶっ壊した
中央はあらゆるスポーツがその手の理由でダメだな。学生が目指しちゃいけない学校だわ。早稲田とかも
いい投手は大体でかい。
高校時代は島袋はプロ志望届出してないから
斎藤佑樹と一緒で高卒でプロ行けなかったんじゃなくて行かなかっただけ
さいてょと同じ
一定以上の評価を受けてる選手は大学行くべきじゃないね
大学よりはプロの方が大切に扱われる。
初物に対する対応力のない学生レベルには通用したが何度も対戦するプロではどのみちダメだったろうな
高校レベルの高打者にも打たれてたからっていう監督の言うことは尤もでもある
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